三島由紀夫没後50年が過ぎ。
三島由紀夫と言えば、外国人に聞くと「ハラキリと応えます。」
なぜ、自害したのか、
武士道に徹底して入り込み、自身のひ弱な身体にコンプレックスを抱き、30歳をきくころから、筋肉トレーニングをし、肉体改造をしていった。
楯の会の結成。自衛隊市ヶ谷駐屯地に決起して自衛隊員を招集しての演説。その後、幕僚長室?か、自害をした。
日本を憂い、自身の遺作となった『憂国』に、モデルとなる人物が描かれている。
三島由紀夫の小説は、読んでないが、映画化された『潮騒』デビュー作品の『仮面の告白』など読んでみたいと思う。
彼の心中には、戦後日本を憂い、
自国の自立を、真の日本建て直しを理念に抱き、パフォーマンスに収斂させ、
死の美学として、飛び立っていったとことになるのであろう。
東大生と東大闘争の最中、乗り込んでの交流の様子。
ドキュメント映画もコロナが騒がれる前に観に行った。1969年の5月であった。
その交流会から、およそ1年半後の1970年11月25日、確かそのように記憶しているが、事件が起きた。
「三島由紀夫」の知っていること、書き連ねてみた。間違っていることがあること、ご指摘、訂正していただけたら幸いである。